高校の先生
子供が成長する過程でお世話になった、幼稚園や小学校、中学校の先生方が、日々子供達に注いでくれている熱量の高さには本当に感銘を受けました。 エネルギーの固まりのような子供たちの集団と日々向き合うことで、否が応でも先生たちの熱が引き出されているともいえます。
若いエネルギーを互いに引き出しあい、ぶつけ合うかのように切磋琢磨している熱い空気を、親も行事や参観で浴びさせてもらい、生きる力に変えてきました。
そして心も体も、法律的にも子供から大人に脱皮していく高校生活。その三年間を伴走してくださる先生方のお話しを聞く機会が先日ありました。
子供の進路について、今の高校生が置かれている(過酷ともいえる)状況、子供の自立に向けて親がとるべき心構えなどについて、2時間程の説明会でした。
さすが高等教育の先生方だと思うのですが、まず、親である私たちに向けて意識改革を要請するその語り口が本当にすばらしく、2時間をあっという間に感じる程でした。
限られた時間で、私達親に求められたのは「覚悟」です。読めないほど小さな字に縮小コピーされホチキスで閉じられた資料が全員に配られました。数年後の大学入試までに、この多科目に渡る膨大な問題を、制限時間内に解けるようになる(という無理ゲーのような)事を、生徒達は求められています。親に求められているのは、同じように入試問題を解けるようになる事ではないので、配布資料の文字は読めないほど小さくても構わない。視覚的に、どれだけ大変な事に若者が取り組んでいるのか、親の想像力が何となくでも届くためだけに、この読めない資料が用意されていたところに、「生徒の置かれた状況について大人で情報共有し、皆で明るい未来を目指したい」という先生方の覚悟が感じられました。
生徒が、自分の課題に集中するための土台となるのは、脳を含む体力をはぐくむ生活習慣の安定。食事、運動、睡眠の確保。親が支えられるのは、やっぱりそこだとおっしゃっていました。
ちょうど介護福祉士が高齢者の目線に重ねて物事を見ているように、高校教師は高校生の目線に重ねて世の中を見ておられます。
世界一の少子高齢化によって加速する、年金の世代間格差の問題に象徴されるように、現実の生活と、過去の(まま運用されている)制度の狭間で、複雑多岐に渡る問題が山積しています。
若い世代には、よりパワフルな気力と体力を養い、より多くの情報を、より適切に使いこなし、複雑極まる世の中を頑張って回していってほしいという、過剰ともいえる期待が寄せられています。
今回もお話ししてくださったベテランの先生が、入学式で口にされた言葉が印象的で、耳に残っています。
「君たちだけに大変な思いを背負わせたりしない。私たちも一緒に進みます。」
↑ 聖徳太子が“覇気“を感得したといわれる信貴山朝護孫子寺の福寅
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