大きなお母さん
「自分が良いと思う事、好きな事、楽しいと思う事であったとしても、人に対してそこまで強く勧める事はしない」という、自分なりの“そこまで”のラインを、組織の一員という立場においては大幅に超える事ができる。つまり人というのは、ある組織の一員としての自分を認識した途端に、良くも悪くも、自分の身体が担保している容量を超える行動を取る事ができるものなんだな、というようなことを営業職の社員として働いていた時に感じた事があります。ひとつ間違えるととてもこわい事でもあるのですが。
それで、介護の仕事に就いてから発見した事に自分自身とてもとても驚いたのですが、「個人の私としてならば、到底受け止めきれない。恐れや怒りや戸惑いなどの抵抗感を感じるために手を止めてしまう」であろう場面であっても、組織の一員としてであれば本当に不思議な位すんなりと現状を受け止め、手足を動かす事ができるようになるものなんです。
営業職の社員としてとらえたあの感覚が、同じ仕組みで自分の中で発動してちょうど真逆の方向へ向かうものとして現れたような気がしました。
自分がこれだと思う事を形にして前に前に勧める攻撃力のようなものと、どんな状況も受け止める守備力のようなものが、組織に属する経験をくぐり抜けることで強化されているような…(←ワールドカップを見たので、例えがややサッカーに寄っている)
介護(デイサービス)の仕事は、職場のみなさんで形作られた大きなお母さんが、大きなひとつの家庭を切り盛りしているかのようで、仕事中の自分は今、その大きなお母さんの手足の一部になったような感じがしています。
私はその大きなお母さんの事が大好きです。
0コメント