「百年泥」と自己効力感

「百年泥」という小説が、大阪出身でインド在住の女性によって書かれたものと知って興味を持ち、読んでみました。

インドのような大陸の大国に対して、私が持っているイメージというのは、つまりは「何でもありなんだよ〜」という、途方もない程のおおらかさに対する憧れのようなものです。

日本は適度なサイズの島国で、何とか頑張ればいろいろな仕組みを上手くまとめて、整った綺麗な環境を維持する事が可能なのかもしれないと人に思わせているのかもしれないけれど、インドに至っては、人は、はなから環境を思い通りに維持できるとはつゆほども思っておらず、それゆえ、インド人の自分の内と外との関係性は、日本人のそれとは大きく異なるものになっているのではないかと思います。

この小説では、そのようなインドの風景を舞台に、現実と非現実が入り混じって、色々な出来事の白黒判別が不可能なまま、ストーリーが進んでいきます。

思えば私は昔から、まわりの広い世界に対する無力感のような、焼け石に水を注ぎ続けているような感覚をどこかに持ち続けていたような気がします。
それはもしかしたら私だけではなくて、こどもの時代には、多かれ少なかれ誰もが感じる事なのかもしれませんが。

ヨガが生活の一部になってから、自分に対して感じる変化のひとつに、この「焼け石に水を注ぎ続けている感」が、いつのまにか小さくなってきている、という事があります。

それは、自分が外の世界に対して何か良い影響を及ぼせるようになったという意味ではなくて、感覚を外から内に引き込むという事を習慣づける事により、少なくとも、自分の心身の状態に限っては、好ましい方向に向けておけるという実感を持てるようになった、という意味において、です。

大陸においても、島国においても、やはり自然というのは理解しきる事の難しい広大なものなのでしょうが、「ヨガ」という視点を得る事で、この広い世界の中で居心地のいい心身の置きどころを定める手がかりをつかみ、自己効力感という感覚に触れる事ができます。

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