くさびを打つ

 前回の記事(うずまき)で、片付けコンサルタントのこんまりさんが、育児に追われている今は完璧に片付ける事を諦めて子どもとの時間を楽しむ事を優先させる事にしたと言っているのを知って、そうだよねそうだよね、やっぱり無理な時は無理だよね、とちょっと許されたような気がして安心したというような話をしました。


 同じような話で、料理家の土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」という本を本屋で見た時も、主婦としての私の気を楽にしてくれるような事が書いてありそうな気配に吸い寄せられるように買って帰って読みましたが、土井さんの経験に裏打ちされた説得力のある言葉に触れて、やっぱりちょっと気が楽になりました。


 その土井善晴さんがまた別のところでしていた話の中で、何を言わんとしているのかよくわからない部分があって、頭のどこかにしばらく引っかかったままでいました。あえて、引っかかった一部だけ、以下に引用します。



  日本には季節があり時々においしいものがたくさんありますから、スーパーで見つけて料理してください。

冬になったら根のもの、春になったら芽のもの、そんなことを意識してみてください。

それは自分の心にくさびを打つこと。

また一年経ったって分かるんです。

それが「もののあはれ」という言葉です。

難しいことやなしに、ええなあと思ってくれはったら、そんでいいと思います。

 

 

 「くさびを打つ」っていう言葉に対する私の理解が浅いから、土井さんの言わんとする事が伝わってこなくて、腑に落ちずに頭のどこかで引っかかったみたいなんです。


 くさびというのは、物を割ったり、あるいは逆に離れないように圧迫するために差し込む木材や金属でできたV字型の道具です。割ることと離れないようにすることという、両極端な目的を果たすことができる物で、慣用句にもその両極端な意味が反映されています。

 「くさびを打つ」といえば、敵陣に攻め込み勢力を二分する事、また、他の勢力範囲の中に地盤を築く事を意味し、「くさびを刺す」といえば、後から問題が起こらないように約束を固めたり念を押す事を意味します。

 サッカーでは、フォワードなど前線の選手に出す縦パスのことをくさびのパスというそうで、攻撃の起点を作り、相手の守備陣系を崩す重要な一手です。


 こうしてしっかり確認してみると、この「くさび」という道具の使い方は「ヨガ」のそれと似ていて、ヨガという言葉は一般的には“結ぶ“という意味の“ユジュ“というサンスクリット語が語源になっているのですが、インドで長い時間をかけてヨガ哲学を深めた先生から「ヨガ」という言葉には裏テーマとして“断ち切る“という意味も込められているのだと教わりました。うーん。似ている。


 先に引用した土井善晴さんの文章はほんの一部なので、ご興味のある方はぜひ、「土井善晴 くさびを打つ」で検索してもらうと、興味深い記事がいくつか出てくると思うので読んでみてください。私も今あらためて検索してみたら、星野源さんとの対談でまさにこの、自分の心にくさびを打つってどういう事??問題について、わかりやすく話してくれている新たな記事に出会えて、ようやく腑に落ちました。


 

 土井善晴さんしかり、近藤麻理恵さんしかり、何かの分野のプロとして、専門家として、技に磨きをかけた人が身体と心をひとつにして絞り出してくれる言葉には、誰でも気軽に行ける訳ではない厳しさを伴う境地にまで至ったのち、誰もがいられる場所まで帰ってきてくれた人しか発する事のできない響きがあり、気づきをもたらしてくれます。




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