「WHAT IS LIFE」
ノーベル賞生物学者が初めて著したこの本、「WHAT IS LIFE」は、著者のポールナースさんが、その一生をかけた研究の成果を、初心者から専門家まであらゆる読者に伝わるように、惜しみない愛を込めてこの一冊の美しい「本」という形に仕上げて、私たちに手渡してくれているものです。
ポールナースさんはある早春の日、たぶん12歳か13歳の時に、庭で一羽の黄色い蝶がひらひと垣根をこえて飛んできたのを見たのがきっかけで、生物学を真面目に考えるようになりました。
「…その複雑で完璧に作られた蝶の姿を見て私は思った。自分とはまったく違うけれど、どことなく似ている。動くことも感じることも反応することもできて、「目的」に向かっているように思われた。実に不思議だ。生きているっていったいどういうことなんだろう?生命って、なんなんだろう?」
ポールナースさんによると、生命を定義する3つの原理があります。
1. 自然淘汰を通じて進化する能力があること
2. 「境界」を持つ、物理的な存在であること
3. 化学的、物理的、情報的な機械であること
3つ目の原則の中に「機械」ということばが出てきて、冷たい非人間的な表現のようで、一瞬どきっとするのですが、よく考えるとこれは科学者が物事をありのままに観て、受け入れようとする誠実で客観的な態度のあらわれであり、このような態度はヨガの古典教本にも見られます。ヨガでは、人の体も、感情も、思考も、"私"が存在しているという感覚までもが、"本来の自分"を定義するものではない、といわれます。
話を蝶に戻して、本の引用を続けます。
「はるか昔、子どものころ、あの黄色い蝶はなぜ、わが家の庭に飛んで来たのだろう?
……もちろん、私には、あの蝶のふるまいの理由を知るすべはないけれど、はっきり言えることは、あの蝶は周りの世界と相互作用して、行動を取っていたということだ。そして、そのために、蝶は情報を管理していたはずだ。
情報は、蝶という存在の中心にあるし、あらゆる生命の中心にある。生命が、組織化された複雑なシステムとして効果的に機能するためには、自分たちが住む外の世界と身体の内側の世界との、両方の状態について、情報を絶えず集めて利用する必要がある。内側と外側の世界は変化するから、生命体にはその変化を検出して反応する方法が必要となる。そうでなければ、あまり長生きできないだろう。」
ネットの記事で、芸人の野沢直子さんが、加齢に伴う心身の変化について書いていたのを最近たまたま読んだのですが、このノーベル賞生物学者が蝶を見て思ったのと同じようなことを、自分自身の内側世界の現場から実況中継するリポーターのような調子で話していておもしろくて、しかもその内容がまったく人ごとではなく、身に迫るものがあります。
「髪の毛が自由に天井に向かって立ち上がってきたかと思ったら、今度は記憶の扉も自由に開くようになって、みんな自由すぎて困る。
自分の身体なのに、各部署でもうこんなに勝手に自由にやられては、統率できない。こんなことが頻繁に起こると、統率する気も失せて、もう面倒くさくなってくる。記憶の扉に関しては、肝心な時には扉が急に閉まって、思い出したいことは思い出せないという不便さもある」
ほんまそれ、です。
そうは言ってもできる限りは、私たちはヨガという先人が手渡してくれた方法を通じて、物理的な側面からも、化学的な側面からも、情報的な側面からも、根気強く自分をひとつに結びなおし続けることができます。
ポーズを通じて運動神経と感覚神経の足並みをそろえて、それら2つを合わせた体制神経と自律神経の歯車を、呼吸を通じてかみ合わせ、そしてそれらの全神経が、全細胞の核の中にこれ以上ないくらい小さな形に収まりながら最も長い時間安定を保っている情報系である遺伝子と調和するようにと願って動きます。
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