偶然を待ち 間に合わせる


先日、朝にバイクで職場に向かっている時、一時停止の白線で止まった瞬間に、音が聞こえるくらいすぐ目の前に鳥のフンが落ちてきました。場所なのか時間なのか、ほんの少しでも"間"がずれていたら、思いきり頭の上に落ちてたと思う。

また別の日、職場で介護記録のパソコン入力業務があって、人手も足りていなくて忙しかったのでパパっと済ませて介護現場に戻りたかったのに、なぜかその日はパソコンの動作が重くてなかなか進まず、イライラしながらゆっくり進めるよりかは、はじめからやり直しにはなるけど別のパソコンでやった方がはやいと判断して切り替えました。

そしたら、なぜそうなるのかパソコンシステムの詳しい事はよくわからないのだけど、次に使ったパソコンでは動作は早くなったものの、必要な情報の一部が表示されなくて仕事を進められなかったので、上の人に相談した結果、また別のパソコンを使ってみる事になりました。

3台目。やっぱり必要な情報の一部が表示されなかったのですが、ちょうど近くに事務専門の情報処理に詳しい方がいてくれたので相談したところすぐに解決してくれて、ようやく作業を進められるようになりました。

この業務は何度もした事があるけど、取りかかるまでにこんなに紆余曲折あって滞ったのははじめてで、この時点で既に、普段ならもうその業務を終えたくらいの時間がかかっていました。その上、詳しくは説明しにくいですが入力上の不備があった事も後からわかって、結局、他の方に入力訂正のお手間までおかけする事態になってしまいました。

…他にもいくつか、このところ何だか間が悪いというか歯車が噛み合わないみたいな事が続いているような気がしたので、あまり必要以上に用事を詰め込まないようにして、落ち着きを失わないように気をつけています。

間が悪いと感じる事が続く時期と、色んな事が間にあって物事がスルスルとスムーズに進むように感じる時期って誰にでもありますよね。

この"間"という事について、整体師の片山洋次郎さんが「呼吸をふわっと整える」という本の中でとても核心に迫る話をしてくれています。体の状態と、心、呼吸、生活の状況は全てリンクしているのだけれども、整体師が日々向かい合っている"体"から不快な状態を打破していこうとする現場では、整体師は相手の体に手を添えている時、体の内側から湧き起こる勢いが自らバランスを回復させようとする"間"の存在を感じるそうです。

「整体では〈呼〉と〈吸〉のあいだの、〈吸〉の直前に、無心にふわっと触れたとき、"間"が立ち上がり、身体が自ら動いて、身体のバランスがリセットされます。」

「"間"は、もちろん、整体の場以外の様々な場に現れます。人と人のあいだ、人とモノ、人と環境のあいだで、寄席や劇場や競技場、コンサート会場で、あるいは、日々の食事や、何気ない会話や、遊び、お風呂やトイレの中、寝床の中で、"間"は、深い呼吸とともに、"無心"に、くり返し立ち上がっているわけです。」

'"心"の専門家である河合隼雄さんも、やっぱり同じような話をされていました。

「ぼくが、だれかの治っていかれるのに立ち会っていますね、そうすると、やっぱりすごくおもしろい偶然が起こるのです。その人はその偶然を契機によくなられるのですよ。」

「ぼくは何をしているかというと、偶然待ちの商売をしているのです。みんな偶然を待つ力がないから、何か必然的な方法で治そうとして、全部失敗するのです。ぼくは治そうとなんかせずに、ただずっと偶然を待っているんです。」

「(偶然を待つというのは)そりゃつらいですよ、なんにもしないんだから。待っていて、うまいこと偶然が起こったら、そのときにはやっぱりパッパッとがんばらなくてはいけないんですけれどもね」

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