「人間の建設」
こういう本にやたら手が伸びるから、私の中の老婆心ならぬ老爺心の建設が進み過ぎているのではないか心配になる今日この頃…。
数学者の岡潔の話の中で、とても心に残っている箇所があります。引用します。
「(人間が)自然数の一を知るのは大体生後十八ヶ月と言ってよいと思います。それまで無意味に笑っていたのが、それを境にしてにこにこ笑うようになる。(中略)生後十八ヶ月前後に全身的な運動をいろいろとやりまして、一時は一つの事しかやらんという規則を厳重に守る。その時期に一というのがわかると見ています。」
「赤ん坊がお母さんに抱かれて、そしてお母さんの顔を見て笑っている。(中略)その頃ではまだ自他の別というものはない。母親は他人で、抱かれている自分は別人だとは思っていない。しかしながら親子の情というものはすでにある。あると仮定する。(中略)そして時間というものがわかりそうになるのが大体生後三十二ヶ月すぎてからあとです。そうすると、赤ん坊にはまだ時間というものはない。だから、そうして抱かれている有様は、自他の別なく、時間というものがないからこれが本当ののどかというものだ。(中略)そうすると、のどかというものは、これが平和の内容だろうと思いますが、自他の別なく、時間の観念がない状態でしょう。それは何かというと、情緒なのです。」
生死のあわいにあるその“感じ”は、もしかして、母なる大地に身を投げだしているシャバアーサナのあの“感じ”に近いんじゃないかしら。
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