たまごとヨガ
このホームページの記事を書く時に、書きたいテーマがパッと思い浮かんだ時にメモしておいて、後で時間がある時にそのメモを頼りに記憶を呼び起こして文章にしたりしています。
で、今見たら「たまごの混ぜ具合」って書いてあったんです。メモに。
…
たまごの混ぜ具合…。について、何か言いたい事があったみたいなのですが。
…何だっけ??
レッスンでよく、ポーズにどのように入っていって、どのくらい留まり、どのように抜けて行くかという説明をする時に、そのタイミングの測り方の例えとして、料理の話をする事があるので、たまごを混ぜている時に、何かヨガについての考察が深まる気づきがあったのだと思います。
そうそう。たまごを料理に使う時に、よく混ぜるのが正解、とか、あまり混ぜすぎないのが正解、というのはなくて、何を作ろうとしているのかとか、たまごの状態とか、自分が好きな食感とかによって混ぜる加減のちょうど良さは変わってくるのだけれど、その混ぜ具合の微妙な違いで、出来上がったものを食べた時の満足感に大きな違いがでてきますよね。あの感じが、ヨガの練習をしている時の動き方と感じ方の関係性によく似ている、という事を文章にしたかったんです。確か。
でも、すぐに思い出せなかったので、たまごについて調べていたら、たまごの中でひよこになる部分は、黄身、ではなくて、黄身の表面についている直径3〜4mmの白い輪っかのところだけなんですってね!黄身は体を作るための栄養、白身にも栄養が入っているけど大体は衝撃から守るための水、そしてバイ菌の侵入から守るための成分でできているそうです。
つまりヒナがかえるまでの一定期間、一番大切な部分が、外側の固い殻、その中の柔らかい白身、その中の栄養たっぷりの黄身に、二重三重に守られている、という構造を保っている、そのひとまとまり全体を「たまご」と呼んでいるわけですね。
…たまご料理の話をしておいて、ひよこの話をするのも、どうかと思いますが…
ここで思いだすのが啐啄同時(そったくどうじ)という言葉です。
これは、たまごからヒナがかえる時に、ヒナが出ようと鳴く声と、母鳥が外からつつくのが同時である、という事から、「逃したら二度と来ない大切な機会」という意味を持つ言葉です。
ヨガでは、自我というのは殻のようなものなので厚くしすぎてはいけないと言われます。ここでも、たまごとヨガはやっぱりよく似ていて、自我を厚くしすぎると何でまずいかって、心の奥底の本心が聞こえなくなってしまうので好機を逃しまくる事になり、おもしろい展開が広がりにくくなるからです。
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