あたまとからだ
先日、こどもが通う予定にしている学習塾に手続きに行きました。塾の中に入るのは、自分が学生の時以来の数十年ぶりで、なんだかちょっと緊張しました。
塾といえば思い出す事があって、自分が中学生の頃、塾の授業中にお腹が痛くなってしまったんだけど、そう広くない教室の中には同級生が所せましと座っていて、お手洗いに立つにはまわりに声をかけないと移動できないような状況だったので、「おなか痛いけど、恥ずかしくて動きづらいし困ったな〜」という場面。いまだにおぼえています。
そういえば、こどもが小学2年生の時、学校の参観で担任の若い男性の先生が、「今年は指示されるのを待つだけではなく、まわりの状況を見て自分で考えて積極的に行動していけるように指導していきます。」とおっしゃっていたのを聞いて、「え?もうそんなハイレベルな事、理解できるの?」とびっくりした事がありました。
母になってからというもの私は、今まで考えてた事すべてがクルッとひっくり返ってゼロになったみたいに、赤ちゃんと一緒にまた一から、食べる事と排泄する事、病気やケガをしては治すこと、晴れたら公園に遊びに行って、夜になったら寝る!をひたすら繰り返すような生活をしていました。
幼稚園ではその延長線上で、こどもの生理的な要請に対応する事がまだまだ最優先の雰囲気だったので、小2になって突然、社会的な要請を突きつけられたような気がして「え?この子達はもうそんな事を理解できるの?」とびっくりしました。
大人になって、たとえどんなに頭が良くなったとしても、食事や排泄、病気やケガといった体にかかわる生理的な事から離れられる訳ではないのに、社会生活においては人の生理的な要請というのは、どうしても脇に追いやられがちになります。
ヨガのアサナは、人の生理的な側面の調子を整えるために行うものでもありますが、そんな時でさえ、頭が身体の声を聞かずに無理強いして負荷をかけすぎてしまうという事がよく起こります。
頭は身体に備わる勢いを抑えつけるのではなく、自分の全身を理解しようという構えをとる事で、頭の要請と身体の要請の折り合いがついてくるのではないかと思います。
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