二上山
先日、奈良の元伊勢(伊勢神宮が現在地に定まるまでに一時的に祀られていた場所の中でもはじめの地)、桧原神社に行った時に、いつもと違う視点から、二上山が見えました。
普段の生活の中で視界の一部に入っている時は、特に二上山に意識の焦点を合わせる事もないのですが、たまに山の中に入って登ってみると、春には新緑や色鮮やかな花、トカゲや蝶々、秋には紅葉やカマキリといった山の中に住む生き物が目に飛び込んできます。頂上からは、普段自分が生活している辺り一帯を一度に視野に収める事ができます。
一方、大阪から二上山を越えて奈良に入り、少し遠くに離れた元伊勢から二上山を振り返って見てみると、いつも近くにいたり中に入ったりしているとかえって捉えにくい全体的な姿形をくっきりととらえる事ができます。
視座が増えると理解が深まる。でも私が一番言いたいのはその事じゃなくて、一昨年にひと月以上、羽曳野を離れている時期があって、しばらくぶりに帰ってきた時の事です。いつもの見慣れた景色、羽曳野に隣り合う山々が視界に戻ってきた時、私はほっとして胸の緊張が緩んでいくのを確かに感じました。
一度離れて、また戻ってきたから、「いつも視界に山が入っている」という、今まで気にも留めていなかった事が、どれだけ自分に安心感を与え守ってくれていたのかを思い知りました。一度遠くに離れてから元の場所に戻ってみると、見えていなかった事が見えてくる事があります。
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