介護福祉士

介護福祉士試験、合格しました!

昨年は、通信課題の提出や実技研修、試験勉強に追われていましたが、ひと段落ついた今になって振り返ってみると、「介護」というものに対する自分の感情に、普段以上に大きな波が立っていたように思います。

勉強をしはじめた頃は、教わる内容に素直に納得し、感動すらして、日々の実務に関して座学で理解を深める事によって、より働きやすくなっている実感を得られていました。

しかし勉強を進める内に、自分の中に次第に反抗心のような感情が生まれてきた事に気づきました。

介護のテキストに載っていることは、自らの職業として介護福祉士を名乗るにあたって身につけるべき技術や知識、心構えであり、反論の余地がない正論です。

もしも自分がその国家資格の教科書を編集する立場であったとしても、あれ以上の物を作る事はできないだろうと思うような物です。

ただ私は、介護の仕事に携わる立場の者として、そのテキストを読み勉強を進める内に途中から、「理想」や、「〇〇すべき」「〇〇であるべき」という言葉でもう満腹になってしまって、胸焼けして消化不良をおこしてしまって、素直に飲み込めなくなっていました。

介護に関わる日本国憲法として、
13条の「自由および幸福追求権」
25条の「生存権」
という法律があり、全ての国民にこの基本的人権が保障されています。介護福祉士は、被介護者の人権の代弁者であるべきである。

その通りです。

しかし同時に、介護者にもこれらの人権は保障されるべきなのであって、「介護者」と「被介護者」の両者の、「自由および幸福追求権」と「生存権」の両方を同時にバランスよく実現させるという事は、考えようによっては、ものすごい矛盾をはらんでいるが故に、ある意味、アクロバティックな心理的飛翔を両者に要求するものでもあります。

全5冊1800頁ほどのテキストの中で、介護者自身の安全(腰痛予防のための体の使い方やストレスマネジメント等)にさいているのは、わずか10頁足らずで、ほとんどは、高齢者や要介護者、社会に対する理解に努めるように、という内容です。

理想的には教科書に書いてある通りだと思うけど…。その通り、そうするしかないと思うけど…。介護者の心と身体がついていかない時も現実にはある。


話飛びますが、介護の仕事を始めた頃は慣れない事ばかりでつらくて、朝は職場に向かう足が重いのに、一日の仕事を終えて帰る時には、毎回ふしぎと心がきれいに洗われたような感じがしていました。仕事を終える度に心が洗われている感じは今も続いています。

ヨガの根本経典であるヨーガスートラ(紀元5世紀頃)の「心の静澄(不動)を得る法」の中に次のような一節があります。

「慈、悲、喜、捨は、それぞれ他人の幸、不幸、善行、悪行を対象として抱く感情であるが、これらの感情を念想することから、心の静澄が生ずる」

慈は他人の幸福をともに悦ぶ心、悲は他人の不幸に同情する心、喜は他人の善行をともに慶賀する心、捨は他人の悪行に対して憎悪も共感も抱かない心、とあります。

ヨガの目的は、心の波を静め不動心を得る事であり、そのためにヨガマットの上で練習を続けますが、マットをたたんだ後にも、心の波を静める練習はずっと続いています。

ヨガの道も、介護の道も、おそらくは武道や茶道や華道やスポーツや音楽も、あらゆる道を進み続けてたどり着く境地は、きっとひとつです。

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