スペースを広げて視座を置く


 ヨガの歴史は5000年ともいわれます。2〜3000年前までのヨガは、今私たちがしているものとは、かなり違うものでした。人里離れたところに住み、一人静かに座して瞑想を深め、自らの内側の静けさに映る本心と繋がろうとしていたのです。


 その後、紀元2〜4世紀に経典「ヨーガスートラ」がまとめられた時代では、ラージャヨガといわれる、瞑想だけではすまないようなとても厳しい修行がなされていました。


 時代が流れ科学が発達し文明化が進み、社会がその複雑さを増していくにつれて、ヨガ哲学者も自分の心の制御だけでなく自分を取り囲む世界の構造にも目を向けざるを得なくなっていきました。そのような流れで、12〜13世紀以降に生まれたのがハタヨガです。現代ヨガの原型となる、ポーズから入っていける練習体系です。


 ハタヨガは社会に積極的に関わりながら実践するためのヨガ。解剖学的、生理学的、心理学的な修練により心のコントロールをはかる事が主な目的となりました。

 

 人がたどるヨガの道は、よく登山にも例えられます。以前、横目で見ていた登山のテレビ番組で耳にした専門家のアドバイスがなぜだか記憶に残っています。それは、普通の道は目線を少し遠くに向けた方が体勢が安定して楽だが、遥か遠く先まで見通せるような長い登り坂を進んでいるときは逆に、あえて先を見ずに足元だけをしっかりと見て歩いた方が心が安定して楽だ、というようなアドバイスだったと思います。違っていたらごめんなさい。


 ヨガの道を進む人が向かっているのは自らの心の中心にある全体性、という、そもそも近いのか遠いのかの見当もつかないような訳がわからないところです。ですから、状況に応じて視座を切り替えるという事を意識しておくと良さそうです。ひとつは今ここに在る自分の一挙手一投足に集中して注ぐ視線。そしてもうひとつは広く遠い場まで広がる周辺視野。


 その2つの視座の狭間で生まれては消える感覚や感情といった揺れ動く心を冷静に観ているもうひとつの内なる視座が、次第に確立されます。呼吸を深めて、自分の内側に安全で快適なスペースを広げて、そこに冷静な視座を山のようにどっしりと据え、俯瞰して自分を見守り続けます。


0コメント

  • 1000 / 1000