「ロストケア」


 映画「ロストケア」、見ました。この映画、本当にすごくて、何がすごいって、介護現場で起きているきれい事だけでは済まされない限界時の張り詰めた状況を、映像表現可能なギリギリの線を見極めに見極めた上で、見るに耐えうるリアリティある作品として成立させているという事です。ストーリーとしては、介護士による連続殺人という現実として起きてはならない、許されない事であるのだけれど、ひとつひとつの場面にはすごくリアリティがあって、よくある事、よくある場面が悪い方に悪い方に重なった時、コップから水があふれるみたいにして最終的にあらわれた物語は、とてもそのままでは受け止め難い、いびつなものとなりました。


 主演の松山ケンイチさんが、原作を読んでぜひ映画化したいと、だいぶ前から考えていたのだけれど、介護の目を背けたくなるような一面をどういうかたちでどこまで表現するかを見定めるのに、10年くらい時間がかかってしまったのだと何かのインタビューで話していました。映画化を考えはじめた時は、こんな事が起きないように、と思っていたけれど、今となっては、いつ誰がこのような立場に立たされてもおかしくない、とも。

 

 私が介護士として働きはじめて早7年が経ちました。介護は辛いことばかりではなくて、楽しい時間や心温まる時間もたくさんあります。実際、心が洗われるように感じる日の方が多いです。「介護」それ自体はニュートラルな概念であって、実際は、その時々のケースバイケースでひとつとして同じ状況はなく、良い方へ転がる時もあれば悪い方へ転がる時もあります。

 働いていて、すごく思うのが、介護者に最も重く負担がかかる場面は、排泄時にせよ入浴時にせよ、たいてい被介護者と一対一の時に、閉じられた空間で、唐突に起きるのだ、という事です。身体的にも精神的にも介護者に重く負担がのしかかる状況は、そのまま被介護者の尊厳を守るべき状況でもあるゆえに、日の当たる公の場所で介助することは人道的にできないのです。


 あらためて言うまでもなく、人は誰しも年をとります。それははじめからわかっているのに、介護にまつわる問題が、自分のすぐ目の前に迫ってくるまでは、なかなか現実味を帯びてこないのは、誰かのせいというよりも、文明化、核家族化、医療の進歩の先に来る当然の帰結なのかもしれません。より良く、より正しく、より楽しく、より美しく、より幸せな社会を効率的に追求し続けて一周回る頃、突然目の前に大きな穴が現れるかのようです。どれだけ見えにくいところに追いやられたとて、なくなりようのない老いや病い、死の現実が、自然なかたちで日常に溶け込み誰しもの視界に入る機会が失われ続けた結果、何の心の準備も整わないまま、ある日突然、問題が目の前に現れたように感じてしまうような社会。煎じ詰めるとそれはそのまま、ひとりひとりの人間の内に、意識と身体として予め内包されている矛盾や葛藤でもあり、何とかしてくぐり抜ける事を余儀なくされているフェーズが人生には必ずあるのだとも言えます。当面のところ、何らかの形で当事者意識を持った人がそれぞれのできる限りで声をあげながら、過度な重圧がひとりの肩の上に集中しないように、その都度、現場現場で、協力体制を整え続けるより他に手立てはありません。


 ケアを必要とする人が、コミュニケーションを取れる精神状態にない場合、良かれと思ってした介助に対して暴言や暴力などの思わぬリアクションがかえってくる事も、よくあります。でもその暴言や暴力は認知面の病状であって本人に悪気がない場合がほとんどなので、誰も見ていないところで自分がひとりで受け止めた身体的、精神的なストレスを何とかして受け流す事ができなければ、その行き場のないこわばりやモヤモヤは募らせるより他、介護者には成す術がありません。とてもじゃないけれど受け流せないほど大量のストレスを、来る日も来る日も、家でひとりで募らせ続けるような介護生活は、言葉では言い表せないほど困難を極める、いばらの道となります。

          

 介護施設では、介護者のリスクの高さがあらかじめわかっている時は複数人で対応する事ができるし、ひとりで対応している時でも、すぐに仲間に助けを求める事ができる場に身を置いている事からくる安心感が救いとなります。


 身体的にも精神的にもケアを必要とする人と対峙し続けるという事にはどういう実感、体感が伴うものなのか。それは実際に経験しなければ気づく機会を得がたい経験です。けれど、少しでも心の準備、体の準備がなされていれば、状況を良い方へ向かわせる選択肢がある事に気づける可能性が高まります。


 映画制作に関わるプロの方々がこれ以上ないほど真摯に丁寧に熟慮を重ね、全体像が捉えにくい大きなテーマにかたちを与えて、多くの人の目に触れさせて知恵を引き出せるように、日の当たる公の場に顕現させてくれた映画だと思います。

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