どこになにがある?

 

 子供の頃、電車に乗った時に姉としていた遊びをなぜか最近、思い出します。それは「遊び」という程でもないようなシンプルなことで、窓から見える景色の中で、目に入った物を「〇〇がある」とひとつずつ言っていく、という、ただそれだけのこと。あれは、誰がはじめたんだろう?昭和の子供にはスマホもないし、同じような暇つぶしをしていた方、おられませんか?


 ふたりで交互に、たとえば「電柱がある」「雲がある」「〇〇の看板がある」「犬がいる」とか言っていって、いちど誰かが先に言ったものを忘れて同じものを言ったり、誰もまだ言ってないものを見つけられなかったりしたら負け。どちらからともなく飽きてきたり、疲れてきたりするまで、ひたすら続けていたような…。

 

 何でまたそんな昔の遊びともいえないような遊びをふと思い出すようになったのかと考えて思い当たるのは、ヨガをしている時に自分の内側のこころの働きを観察している時の状況が、この遊びとそっくりだから、ということです。

 

 どういう事かというと、ヨガのポーズをとっている時にとらえる感覚(たとえば筋肉の伸び縮み感とか、関節の曲げ伸ばし感とか、呼吸が浅くなったり深まったりする感じ)は、そのポーズを解けばなくなる一時的な状態でありながら、確かに感覚器官が今とらえている何かです。

 電車の遊びでは、自分の外側に見える景色がどんどん変化し流れていくように見えるのに対して、ヨガをしている時は、自分の内側でとらえている感覚がどんどん変化し流れていくように感じられる、という違いはありますが、楽しみ方というのか、やってる事はよく似ています。

 

 ヨガの練習を通じて自分の内に養われる「自己肯定感」は、何かができるようになったから自分で自分を褒めてあげたい、というような感じではなくて、「〇〇がある」「〇〇がある」というふうにして、自分の内側を流れるこころのあり方をひとつひとつ、ていねいに見いだして、自分にとって都合が良かろうが悪かろうが構わずに今あるものはあると、まるで電車の窓から見えるものを口にするみたいに、その存在に気づいて、それが自然と流れていくままにしておけるようになる、という感じです。

HANE YOGA

open yoga space ハネヨガ

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